思い出追記。言動録

○歯が悪いから肉はひき肉のみ、魚も柔らかく煮たのだけ、豆は嫌い、かぼちゃもさつまいもも食べない、毎日同じようなメニューやだ、ばあちゃんだけみんなと違うもん食わすんだね(噛むか?子供の好きな唐揚げを)

○15時過ぎるとまだ米を炊かないのかと言いにくる、早めに研いで炊き上がり17時で予約してたら「なんで17時なんだ」とブツブツ文句を言っている(遅いらしいよ?)

○コメは日に2回も炊くな。保温もしないで。

○そんなこと言うんならもう夕飯いらないからね!(こっちはノーダメージですが?)

○ごめんね、やっぱりご飯用意して

○年中だった息子の指吸いをやめさせたくて「隠しカメラでこども園の先生が見ていて怒るからやめるように」と吹く

○人が自分の思う通りにならない時一生懸命さまざまな嘘を捻り出してくる

○布団は晴れていれば毎日干せ(全人類が昔からそうしてきたらしい)

○賞味期限の切れたもの食べさせておばあちゃんを殺そうとしたんだろ

○この家が自分のものになると思ってもそうはいかねーんだから

○全っ部!お見通しなんだからね

○お前の家じゃねーんだからな

○おばあちゃんの家なんだからね

○バカ女が

 

息子にすんげー嫌なこと言ってきて、腹ワタ煮えくり返って2日はろくに眠れなくてマジどうしてやろうかと考えてたこともある。この件を境に、「それでも逐一水に流しながら何とかうまくやっていこう」から「上等だてめぇ徹底抗戦でいくからな」に変わった。

大人だけならもう少しうまくやれたかもね。

何度か夫に、もうほんとに引越そうよ!あんなにヒドいなんて聞いてないよ!て言ったけど「もう少しだから我慢して」の一点張り。

もう少しもう少しって言って、あと10年元気だったらどーすんだよと思ってたけど、わりと早く、解放された。

いる間は毎日めちゃ嫌でご飯のこと考えるのも大変だったけど、いなくなったらもう前からいなかったかのようにツルツル記憶から消えてく。

施設に入る時、義母に「色々恨みつらみもあるだろうけど、これが最後だと思って」って言われたけど、ないよ。なんの恨みも。

備忘録としてここに記して、あとはもう、全部忘れるだろう。

いろんな人がいるよね。ほんと!

BBAとの思い出。

どうでもよすぎてどんどん忘れていくのでちょっと書いとく。

夫の実家に越してきたのは3年ちょい前。

義父母が暮らしてる家と、義祖母が暮らしてる家が同じ敷地内にあって、義祖母の家の方が広いからと私達は義祖母の家に入ることになった。

義祖父が死んで10年くらい経ってて、義母が義祖母の実子なのだけど、義父と義祖母が仲悪くて一緒に暮らしてなかったそう。

この家に入ることは、義母と夫が決めたようなもので私に選択権などなかった。

義母から「ちょっとワガママな所があるんだけど、もう直んないから」って聞いてて、嫌だけど、家賃ないならまぁ助かるし、無理なことは無理って言って受け流しながら穏便にやってこうと思ってた。うちのかわいい子供と毎日顔合わせてたら寿命伸びちゃうかな〜くらいに思ってたんだけど。

だが暮らしてみたら、ちょっとワガママな所とかいうレベルの問題じゃ!ねぇ!というトンデモババァだった。

まず「自称キレイ好き」なので掃除、片付けができてないと怒るんだけど、当時子供は1歳と4歳なので、まぁムリだよね。

おもしろエピソードとして。越してきた次の春からコロナ流行りだして、晴れてれば公園行くけど、雨の日はもうどこも行けねーつまんないけど家の中で遊ぶしかないね〜と朝食と着替えを終えて遊びだした朝。朝ですよ。

ガラ、っと戸が開いたと思ったら開口一番、「お片付けしなさい!」て言われて思わず「うるっせぇんだよぉぉぉ!!」てなっちゃったよね。

雨の日の朝、幼い子供がおもちゃキチンと片付けて、何して過ごしてりゃいいっつーんだよ。

自称キレイ好きなんだけど、昔の人なので衛生的観念は薄く、片付けは「入れ物に全部つめこんでしまっておけばオケー」という考え方。

棚という棚の中はごみのようなものだらけ。何年も前に賞味期限切れてるカレールゥとか。台所は虫も発生しててキヤーだった。私と夫で片付けた。

もうボケも入ってたんだろうけど。

 

あと大きな問題が、「ヨソモノを受け入れられない」。

越してきてすぐのころは、義祖母の「義父はこんなことしてあんなこと言って、すごい嫌なやつなんだ」って話を「ふんふん、そうなんだ〜。義父ってちょっと怖い人なのかな。一緒に暮らしてる義母のメンタルは大丈夫なのかな〜」なんて思ってた。

でもいろいろいろいろあって一年くらい経ったころ、「お前ほど嫌なやつに会ったのはこれまで生きてきて初めてだよ!!」みたいなこと言われて、本当に理解した。

私がどれだけマメに掃除して、控えめな態度でいい顔をしていたとしても、この人の頭の中で最初から「この家を乗っ取りに来た悪い孫嫁」という設定キマっちゃってたんだって。

よかったね、じぃじ。じぃじより私の方が嫌なやつで更新されたってよ。

「義父は嫌なやつだ。私が死んだらこの家を好きにできると思ったらそうはいかねぇんだから」と言っていたのを、「ふーん、でも義父は義母と住んでいる家があるのにこっちの家をどうしたいんだろうなぁ?」なんて思ってた私かわいい。

今はわかる。義父に聞いたわけじゃないけど。

義父は一度も、「義祖母が死んだらこの家は俺のものだ!」と言ったことはないし思ったこともないよ。

私も「家を乗っ取られた」って何度も言われた。

 

でも。もう一個おもしろエピソード。

ある休日。私はその日、珍しく朝から床の拭き掃除を済ませていた。

そこへ「まったく掃除しやしねーんだから」などどブツブツいつもの聞こえよがしの嫌味を言いながら掃き掃除をしにきた義祖母。

あんまり汚れがなかったからか、いつも見ないような隙間見て、「ちょっと!見てこのホコリ!うわーこんなになってるとは思わなかったなぁ〜」とか言ってて。

反応しなかったけど、「うわぁ!テレビでしか見たことのない、あの幻の『〇〇さん?何ですかこの埃は?』が現実にぃぃぃ!」と内心ちょっとテンション上がる。

でも、私達には非現実の話だったけど、義祖母はリアルにそんな時代を生きてきたのかもしれないなぁ、と思って。

嫁はヨソモノ。認めてもらうために相手の家のやり方に従い頑張って家事して、嫌なこと言われても出ていかされたら困るから我慢。自分がそんな思いをしてきたのかも。

でも、ごめんねおばぁちゃん。そういう時代、終わり切ってるんだよね。

私の立場はそんなに弱くない。もし、夫にも義父母にも出ていけって言われれば、子連れでも子なしでも実家帰って暮らしていくよ。別にいいよ。

同居後半は、いびりたいのに私がいびられなくて躍起になってるのかな?みたいな感じで言ってること支離滅裂すぎてもうおもしろいなぁと思って聞いてたけど。

 

こども達に、お年寄りには優しく、と伝えたかったなぁ。

自業自得でこども達にも嫌われて、でもそれも私が義祖母は悪い奴だと吹き込んでいるせいだと言ってた。

かわいそうな人だった。義母か叔母が、もっと若いころに精神科とか連れて行ってくれてたら、と思った。

昨夏施設に入ってからは、一度も顔を合わせていない。

まぁ、いい人生経験になったよ。

さようなら、おばあちゃん。

いきてたよ。

最後の投稿8年前かぁ。

その後のことをざーっと書いてみる。

 

過去に、すごく良いところかもと書いてるばいとはフレンチレストランのウェイトレスだったんだけど、対人恐怖でウェイトレス、ちゃんとできるわけないじゃんねぇ。

結局ボロクソ言われてこころ血まみれにして、移住しますと言って辞めたよ。

 

たしか、来春の移住を決めて10月に辞めて

→3月までに全部受講できる計画で東京のヨガインストラクター養成講座に高速バス使って通い始めて

→11月に長男妊娠が判明

→12月切迫流産で入院、無事退院

→3月夫が先に岡山へ。

→8月予定日の長男を早産で7月に出産、助産院で産めなかった。

切迫流産で受けれなかったコマがあってヨガ講座全受講できずのまま、9月に私と息子も岡山へ

息子2歳半のとき双子の娘たちを出産

夫はとてもがんばってたけど農事組合法人での仕事は聞いてた話と違ってベリーハード。西日本豪雨があってからは夫実家から心配すぎるから帰ってこいコールも激しかったらしく、移住生活は4年で終了

夫の実家に帰ることになる。201910月台風と共に引越し、義父母は敷地内別棟、義祖母が1人で住んでた家に入る

やべぇ想像を超えたトンデモババァだ

安心できない家での暮らしも3年弱がんばった。昨夏義祖母が入院施設に入り、やっと安心できる家に!入院からの世話は義母が全部してくれてる。

つらく、苦しいと思ってきた3児の子育ても、双子3歳半を過ぎたあたりから少しずつ楽になってきて、楽しい、かわいいとおもえることがふえた。むすこ7歳、むすめたち5歳。イマココ。

結局、病院に行ってみたことも、サプリメント飲んでみたことも、漢方飲んでみたことも、ヨガ教室に行ってみたことも、根本的には何にもならなくて途中で放棄したけど、ヨガを深く学ぶことが、「たどり着いたところ」にしたい。
始めたばかりだけど、今度は投げ出さないように。
過去は見ない。これからをみる。
緑の多いところへ移住することは決めた。
だからといってそこならうまくやっていけるなんてないけど
望むような暮らしに、
歩み寄っていく。
遠慮しなくていい。躊躇しなくていい。
捨てなくていい、きっと

いきてくんだ。
いきてく。

ふわぁー。
もう、明日だ。BURGER NUDS、復活ライヴ。
チケット取れないかもなんて思わなかったけど、取れなくて行けない人もいるんだろうなぁ。ありがたく観てくる。

ちょうど10年前。
解散ライヴにも行った。
あのひのこと、憶えてる。
わたしは学校を出て初めての職場で、6月末での解雇を言い渡されたすぐあとだった。
こんなんで、これから、どうやっていきていけるんだろう?
どうしたらいい?
誰に訊いたってなんにもないけど、訊きたかった。

あれから、10年も経って
わたしは、あんまり変わっていないな。
変わらなかった
からっぽな
はずかしいきもち。
しっかりといきてみたいよ。
もんちゃん。


ところで、病院は早々に行くのをやめました。結局、解決になんてなりそうもなかったから。
ビタミンBのサプリメントだけ、ちょっと調子よくなる気がしたから飲んでみてる。
ヨガにちょこちょこ通ってるけど、これは老廃物出てる感があってよい。
きもちが明るくなって、人生が変わる!とかゆう効果はちょっと得られなかったかな。もっと、精神からきちんと学べばちがうのかな。
きっと、自分の意識しだいだとおもうのだけれど。


あしたは、10年前のティシャツを着て、ライヴいってきます。
うぉーーーん!

いろいろあって、初めての精神科に行ってきたのですよ。
昔からのことはまぁよくある不安障害と。
あと近年の無気力と過眠はうつとかではなくて副腎疲労だろうとのことです。
副腎疲労(アドレナル ファティーグ)は初耳だったけど調べてみたら思い当たるかも。医者のことはまるっとは信用しないようにしてるけど、そう、かも。これをよくするお薬などはないそうで。
たくさん薬出されたりするよりいいけど、結局は自分でちょっとずつ何とかしてかなくちゃならないってゆうこと。
とりあえずまた整体は行こ。
あと、ヨガ。しよ。ひとりで教室行くのやだけど。

用事のない休みの日に12時間くらい眠ってしまって落ち込んだりするから、何が悪いんかなーと『たくさん眠ってしまう』とかで検索かけると統合失調症とかうつ病かもですねとか云われるんだよね。
無きにしもあらずだけど、体が歪んでて疲れやすくなってんのかもと整体行ってみたら、ちょっと体の調子よくなった。便通とか。
でも睡眠は関係なかった。どーん。

12時間て言っても、夜9時間くらい寝て3時間昼寝してしまう
かんじで
あ、休みの日って書いたけど仕事ある日も10時間寝てた。16時前後帰宅、ねむくてソファーかカーペットでちょっとと思って寝て、19時になったりしてほんと沈む。
要は昼寝が長くなってしまうのが問題で
15分程度が最適とゆうから、アラームかけてみたものの
鳴ってるのがきこえても起き上がれない。
昼に眠ること自体を我慢しようとしてみるものの
ぼーっとする、夜になって気持ち悪くなってごはん食べる気しない、結局ちょっと眠ってスッキリしてから食べるとか
どうしたもんか



睡眠に関してはむかしから悩んできたけど、
たぶん昔軽くうつ病だった(自己診断)のにほっといたからかな。
バイトは問題なく通ってるからまぁいいんだけど。
仕事から疲れて帰ってもごはん出来てなかったりする夫かわいそう。



てか朝ももっと早く起きたい。
病院行かんとだめすかね。睡眠外来ですか。